最後まで読んでくれないと、ワイが真面目人間になってしまうよ
我々は日頃から音楽に親しみ、それらから勇気や元気をもらっている。
これは紛れも無い事実なのは、MTVのような音楽番組が存在することからも判然とするだろう。
ところで、音楽には音楽しかないのだろうか?
”今でも“愛され続けている80年代の曲と、“今しか”愛されない曲はどちらも同じ音楽なのであろうか。
これは音楽のジャンルの話をしているわけではない。ジャンルであるならば、クラシック、ジャズ、ロック、ポップスと、その曲のタイプはわかっても、多くの人々に愛されるほどの深みを曲が保持しているか否かはわからない。
サザンオールスターズ、クイーン、槇原敬之、マイケルジャクソン、B'z、その他色々、は長年にわたり愛され、多くの人の心動かし続けている。吹奏楽部が奏でる木星や、アイネクライネナハトムジークも聞いてみれば心動かされる。確かに、心の動かし方は違うかも知れないが、どちらも自分の人生の糧となることに違いはないのではないか。
話は少し変わるが、心を動かすのはいつも生演奏ということではない。かの小林秀雄は、友人宅にあったレーコードでモーツァルトのファゴット・コンチェルトK.191を聞いてとても感動したという。心動かすライブの演奏だって、生演奏に限りなく近いが、我々の耳元に届くのはスピーカーによって生成された電子音である。
話を戻そう。今私が最も述べたいことは、ファッションの継ぎ接ぎでできたファストミュージックは名目上“音楽”であっても、芸術性は皆無であるということである。
では何かと言えば、商業音楽とでもいうべきであろうか、すなわちお金儲けを主体とした音楽であるということである。これは芸術性の高い曲(例えば阿久悠氏のエキセントリックな歌詞や、最近で言えば米津玄師や星野源の抽象度が高く、尚且つ共感性を生む曲などである)とは峻別しなければならないと思う。
これ以上思いつかないンゴ!!wwwwwだって別にただの大学生やもん!!wwwwなんも知らんし!!wwww何か意味ないこと書き続けるのだるいし、これでやめるンゴ!!wwwww