しょうもないブログ

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RTは正当性を保証しない

Twitterでの情報はすぐにRTという形をとって何万人に周知されていきます。RTというものは、存在上、ある情報を他者に共有するという機能を持ち合わせているわけですので、共感とか称賛といった意味を含蓄しているといえるでしょう。

ですが、このごろ虚偽のツイートが拡散してしまう件が示すように、その情報の正しさはどこにも担保されていません。

それでも人はマジョリティーを好む習性があります。RTの数はそれだけマジョリティーの規模を表すものであり、マジョリティー=正しいと無差別に捉えてしまう人も少なくないのです。

この機能を利用すれば、正しくない情報だって正しかったことにできるのです。国の機関だってそれを利用することができますよね。例えば、選挙期間中の韓国やアメリカで、ある党がインターネットを用いて虚偽の情報を拡散させ、自分の党を優位な位置にたたせようとしたことがあったりしたのは最近の話です。もっと小さい規模だって起こってるかもしれない。その情報の正しさを検証しないことは現代では非常に洗脳されやすい状態にあると言えます。

昔だって新聞やテレビで虚偽の内容を拡散できたじゃないかというかもしれない。だがそれは少し違います。新聞やテレビなどの媒体は、どこが発信し、誰が書いたか、誰が企画したかということは調べようと思えば調べられる。つまりは情報発信者に多少なりとも責任が付きまとうのであります。人は責任を感じれば、おおっおぴらな嘘をつくことはまずしません。

かわってネットはどうでしょう。発信者をIPアドレスで突き止められるという人がいるかもしれないが、IPアドレスを偽装することは今では簡単に行うことができるのであります。つまりは、匿名性は未だに確保されていると言えます。名誉毀損や営業妨害などの法律に引っ掛からない範疇であれば何を言おうが個人を特定されることはないのです。

話を戻して、私がRTは情報の正当性を保証しないということについて述べようと思った理由は、ある人が正しいことを言っていても、Twitterでは詭弁や嘘を用いて逆攻撃をし、RTや支援者が後者に多ければ後者が正しいということになりやすいと思ったからなのです。

我々は正しい情報を信じ、嘘を言うものは排除しなければなりません。そのためにも、日頃から信用できる情報源でサーチする習慣をつけることが大事なのかなと思っています。