必見!読書感想文の書き方
小学生のころ、夏休みの宿題で読書感想文を書かされたものだ。読書感想文なんて本を全部読まないと書けないものであるが、俺はひと味違う。本を半分しか読まなくても感想文を書いて見せる。
ということで、読書感想文「『卍』を読んで」書きます。わからないところは憶測で補完します。
「私は、谷崎潤一郎さんが書いた卍を読んで、とても心動かされました。なぜかというと、心動かされたからです。
主人公は女性です。名前は、確か、、、忘れましたが、その主人公が先生という人に思い出を語る形式の物語です。全編大阪弁でかかれているため、とても読みにくかったです!
多分、テーマは同性愛だと思います。これがかかれたのは、多分大正か昭和辺りなのですが、当時でもこのような意識を持っていた谷崎潤一郎さんには脱帽です!
(唐突な画像添付)
じゅんじゅん(潤一郎のじゅん)の絵を描きました!(描いてないやろ)うまいでしょ!(画像だろ)じゅんじゅんが書く作品は、不倫とか、なんか、どろどろしたのが多いので、うちは好か~ん笑笑(お前誰や、好かんのによく感想文書こうと思ったな)」
できました。これで確実に小学校なら「たいへんよくできました」スタンプ貰えるだろうし、中学校なら5段階評価で5を確実にいただけるでしょう。さすがは私、JA共済作文コンクールで入選しただけありますわ(応募したらみんな入選するやつだろ)。
とりあえずまだ半分しか読んでいないので、残りもしっかり読まさせていただきます
坊主になりかけ
ブログを開設して何日目なのか知らないが、すでに半ば飽きてきた。ブロガーはやっぱり凄い。ネタにできるものは全てネタにしているのだろうか、それでもほぼ毎日更新できているのはスゴい。自分には到底できない。
◯ら◯うくんも最近youtubeを更新してくれないが、あれはきっと本当の自分がなんなのかわかったからだろうか。自分探しをやめたのだろうか。
自分も本当は中華料理店のデザートで出てくる杏仁豆腐の上に乗ったミントの葉レベルで小さな存在であることは前々から重々承知していたから、ブログなんてやめてしまおうか。5日坊主か?6日?3日よりかは少しマシか?
(この画像のミントがでかいのはご愛嬌)
ただ、大仁田厚みたいに引退詐欺はしたくないから、半ば坊主、頭の右半分は坊主みたいな感じで捉えてほしい。つまりは1.5坊主とでも言おうか。
(書いた後に気づいたけど、これ左半分坊主やないかい)
正直、1.5坊主では面白いことなんぞかけやしない(元々書いてないだろとかいうガヤは無視させていただく)。
坊主ネタを引っ張ってくる時点で、何もネタがないのである。宇留野のネタ市場は絶賛閉場中なのだ。新鮮なネタを引っ張ってこれないので、作りすぎた食材を冷凍保存したやつ的なレベルであまり美味ではないネタをこうしてまたさばいていると言うわけだ。
次回はもう少しマシなブログを書こうと思う。
めっちゃすごい詞
愛はまるで砂の城ね
出来た瞬間 波がさらう
少し悲しいけど想い出という名の
光る砂が残るわ
上は森雪之丞氏が作詞した「砂の城」という曲のサビ部分の歌詞です。
斉藤由貴が歌っているのですが、よく「お前はどうせ斉藤由貴の顔が好きだから聞いてんだろ」とか、「◯◯歌手の曲聞いて楽しいか」とか言われるんですけど、そこはスローテンポの曲で、尚且つ作詞陣が素晴らしいからこそ聞いているんだと、まず釈明したいですね。
話が脱線したので元に戻しますけど、この愛を砂に例えるのって素直に表現力化け物じゃないですか?
ただ「愛してる〜」とか「君を忘れない〜」とか、単純すぎる言葉を使うより、恋を砂に例えて的確に表現しちゃうのカッコ良すぎないですか?自分は初めて聞いた時、あまりの素晴らしさに背筋がゾクゾクっとしました。
とりわけ「思い出と言う名のひかる砂が残るわ」の部分がすごくないですか?砂が思い出であると明らかにされた時、いい思い出は忘れやすいけど、心のどこかに残るものだとハッキリとわかり、あぁこりゃ凄いわと、感心圧倒されるに尽きますね。
と、今回も何も面白くない稚拙な文のブログでごわした。
三日坊主
ブログを始めて3日かそんくらい経っていたので、ふと三日坊主という言葉が脳裏に浮かんだ。
三日坊主、三日坊主、三日坊主、三日坊、、、ん?三日坊主の坊主って、ただの丸坊主か?それとも坊さんなのか?それとも、、ヘッドフォンの、、BOSEか、、?
大学の講義中ひたすらに気になった。教授に質問しようかと思ったが、いかんせん経済学の教授であるから答えられる可能性は低いだろうし、そもそもそんなことすればサヨナラ案件である。
講義終了後、すぐに忘れてしまったので調べはしなかったのだが、ふと今思い出したので調べてみた。
むかし、お坊さんになろうとして
お寺に行ったものの、修業がたいへんきびしく食事も質素、
そんな生活がいやになって三日でやめてしまった。つまり三日間だけお坊さんになったので「三日坊主」、
ここから、物事をつづけられない慣用句として使われました
なるほど、そんなけったいな人がいたのかと驚いた。(まぁだからブログのネタにするのだが笑)
こんなバックストーリーがあるのかと思うと、やはり諺を始め、慣用句や故事成語、広く言えば日本語というものは難しい側面もあるが、面白いなとも感じる。
最後まで読んでくれないと、ワイが真面目人間になってしまうよ
我々は日頃から音楽に親しみ、それらから勇気や元気をもらっている。
これは紛れも無い事実なのは、MTVのような音楽番組が存在することからも判然とするだろう。
ところで、音楽には音楽しかないのだろうか?
”今でも“愛され続けている80年代の曲と、“今しか”愛されない曲はどちらも同じ音楽なのであろうか。
これは音楽のジャンルの話をしているわけではない。ジャンルであるならば、クラシック、ジャズ、ロック、ポップスと、その曲のタイプはわかっても、多くの人々に愛されるほどの深みを曲が保持しているか否かはわからない。
サザンオールスターズ、クイーン、槇原敬之、マイケルジャクソン、B'z、その他色々、は長年にわたり愛され、多くの人の心動かし続けている。吹奏楽部が奏でる木星や、アイネクライネナハトムジークも聞いてみれば心動かされる。確かに、心の動かし方は違うかも知れないが、どちらも自分の人生の糧となることに違いはないのではないか。
話は少し変わるが、心を動かすのはいつも生演奏ということではない。かの小林秀雄は、友人宅にあったレーコードでモーツァルトのファゴット・コンチェルトK.191を聞いてとても感動したという。心動かすライブの演奏だって、生演奏に限りなく近いが、我々の耳元に届くのはスピーカーによって生成された電子音である。
話を戻そう。今私が最も述べたいことは、ファッションの継ぎ接ぎでできたファストミュージックは名目上“音楽”であっても、芸術性は皆無であるということである。
では何かと言えば、商業音楽とでもいうべきであろうか、すなわちお金儲けを主体とした音楽であるということである。これは芸術性の高い曲(例えば阿久悠氏のエキセントリックな歌詞や、最近で言えば米津玄師や星野源の抽象度が高く、尚且つ共感性を生む曲などである)とは峻別しなければならないと思う。
これ以上思いつかないンゴ!!wwwwwだって別にただの大学生やもん!!wwwwなんも知らんし!!wwww何か意味ないこと書き続けるのだるいし、これでやめるンゴ!!wwwww
なぜ黒歴史を作りに行くのか
私の周りには色々面白いことをしている人がいる。
例えば、Youtuber、俳優、物書き、ラッパー、その他もろもろ。
みんな違ってみんないいのは当たり前なのだが、いかんせん自分も何かしたい。
例ので◯ゆ◯くんじゃないけども、この人生の夏休みと呼ばれている大学生時代に、大人になると時間的にも体力的にもし難い事をしたいと思ってる。
実際、色々なことをちょこちょっこスタートさせているのだが、なんか足りない。
なんか足りないんだな〜。
そういえば、カウンセラーってあまり発言しないらしい。むしろ相談者が思っている事を話すところにカウンセリングの効果があるらしい。
ほならね、自分もそうしてみればいいって話でしょ。
自分もこのブログで色々なことを書いてみればいい。
そしたらば、その「なにかが足りない」の「なにか」が見つかるかも知れん。
まぁ、あんまはっきりしてないけども、不定期で自分が思った事を書きますわ。